禁厳有共

晒さないでください

本質を考える

人間の本質を考えてみる。

ここでいう 人間 は、画面越しやステージを介して観る存在ではなく自らが交友関係を持つ人間のことだ。

例えば私のもとに ウルフカットで歌が上手く年が近い性癖なファッションをした顔がどタイプで共通の趣味を持つ私に惚れ込んでいる男 が現れたとする。

嗚呼、もしそんな存在と邂逅したら私はその瞬間脳内に=LOVE(グループ名)の=LOVE(曲名)が流れ、メスの顔をしながら奇跡が起きたと親友だけがみれるTwitterの裏垢で呟くだろう。

目が合った瞬間奇跡を信じた きっと君だ 君だ 君だ
いくつか恋をしたけれど 全て君に出会うためだった
きっと君だ 君だ 君だ 遠回りして ごめんね

惚れ込んだ上記の男からいくつ位の要素が剥がれたら私は興味を失うのだろうか?

ウルフカットじゃない男を好きにはなれないし、そういうファッションへの理解が浅い人間と関わって上手くいった試しがないのでウルフカットは絶対条件だと思っているが、もしブリーチを繰り返した末禿げてもきっと私はそいつの事をまだ好きだ。

例えばつんく♂と同じ病気を患って歌えなくなったら?声を聞けなくなったら興味が失せるか? 否、きっと私はそいつの事をまだ好きだ。

例えばその男の顔に存在するプロテーゼが突如壊死し、顔が緑色の妖怪になったら幻滅するか?否、きっと私はそいつのことをまだ好きだ。

(ちなみに、私は昨今の蛙化という言葉の誤用が許せない。言葉や言語はそうやって変化していくものなんだろうけど。)

こんなに面食いだけれど、好きになってしまうと容姿は関係ないらしい。

ではその男が風俗に行ったり、所謂浮気をしたら?
流石に二十歳も目前となりそんなアホな恋愛を続けるわけにもいかないので決別はするものの、きっと私はそいつの事をまだ好きだ。

その男の魅了といえる要素が全て剥がれても好きなら、同時にどこも好きじゃないとも言えるのかもしれない。不安になってくる。



高校卒業から丁度一年、私は友人と頻繁に連絡を取っている方だと思うし、よく会って一緒にご飯を食べていると思う。

登校すれば強制的に友人と過ごさせてくれた中高という存在の尊さを今になって痛感する。
では私が今でも遊んでいる人と遊んでいない人の差異はなんなのか、?

それはリスペクトを持てるかという所にあると思う。

美術、狩猟、資格、DJ、VJ、学業、音楽、映像制作、アルバイト、サークル、外国語 etc…

私の生活に存在しない要素に日々励んでいる姿を見ると そこに痺れる、憧れる。
それを思い返した瞬間私は脳内で友人に平伏している。

勿論リスペクトできる要素がない人間と関わりませんとお高くとまる訳ではないし、誰と対峙したってリスペクトを持てる。
私には何もないから。



そして私の中で最上級にリスペクトを持っているのが無から有を生み出している人間だ。
残念ながら、私はそれができない方の人間だから。

だから ウルフカットで歌が上手く年が近い性癖なファッションをした顔がどタイプで共通の趣味を持つ私に惚れ込んでいる男 が 坊主で顔が壊死している声を発せない老いた男 になっても無から有を生み出したそれを愛せる限り、私はきっとそいつの事をまだ好きだ。

肉体が老いても、生んだ作品は年を取らないから羨ましい。
老いて醜くなるだけの肉体という器に金をかけて金を稼ぐ私からすると、年を取らないなんてそれ以上に羨ましいことはないから。



もし私が幸運なことに ウルフカットで〜(以下略)男 に出会えて付き合っても、いつかは振られてしまうかもしれない。

その時は親愛なる友人に励ましてほしいが、見ての通りペラペラの私に友人がリスペクトしてくれるような点があるだろうか。

自分を保ってある程度周りに尊敬される人間になれれば、 ウルフカットで〜(以下略)男に振られることもなく 友人とも末長く仲良くして貰えるかもしれない。

令和6年度はどこか一つでも人にリスペクトを持って貰えるような人間になれることを目標に生きようと思う。