禁厳有共

晒さないでください

人を呪わば穴二つ

誕生日って苦手すぎる。

15歳から誕生日が明確に苦手だ。

それまではただ年齢が増えてケーキを食べれるだけの日だったのに、誕生日というのは相手にとって自分の存在がどれくらい大きいかという成績発表の日だと強く意識するようになってしまった。

当時からの友人は恋人に誕生日を忘れられたのをまだ引き摺っているのかと驚いているかもしれない。
相手への未練が一切無い今でも成績発表として強く意識させられて、徐々に近づいていく日々が苦痛に感じる。

それとは別に、私は以前の恋人に誕生日プレゼントを渡した30分後に別れを告げるという側から見たら意味不明な行為をしてしまったがために、誕生日プレゼントを渡した30分後に絶交だ もう会わない もう好きじゃない 他界する と言われる可能性が過るようになってしまった。

正直常軌を逸した被害妄想だと自分で自分が心配になるものの、相手を傷つけ、呪いをかけた自分に呪いが返ってくるのは仕方がないのかなと思ったりもする。

振られた側というのはこちらが心配しなくても充実した生活を送れているそういうものなので 今も傷ついてるなんてきっと考えすぎだ と静かに自分に言い聞かせる。

でも逆に、私を傷つけた側はきっとそんな心配や反省を絶対していないので普通にめちゃくちゃムカつく。
横柄なワガママ姫に見えてこういうところだけお人好しな自分にも嫌気が差す。

家族が健やかに歳を重ねた事を祝ってケーキを一緒に食べてくれるこの人生に落ち度を見つけて不安を感じる自分が心から嫌いだ。

流石にいい歳なのでプライベートで関わってくれている友人に対して一々誕生日を覚えているかなど気にならなくなってきたが、自分が商品になってしまったがために、交代するかのようにまた強くプレッシャーを感じる人生が始まってしまった。

口ではなんとでも言えるこの世界で相手への感情を示す手段は「時間を作って会いに行く」それが最上級だ。それより上は存在しない。

健全に自己を愛し適度に他人に期待しない、これができればこんなに拗らせる事はないのに…。

「人の成長とは 未熟な過去に打ち勝つ事だ」ディアボロはそういった。

だから10代の誕生日を全て終えた私がしなければいけないのは、穏やかに自分の誕生日を迎えられるくらい自己を愛せるように頑張る事だ。

正直誕生日を忘れられた私に未熟さや落ち度は一切無いが、自己を愛し穏やかに誕生日を迎えられるようになれたら、悲しんでいた過去の自分を抱きしめてあげられるのかなと思う。

とは言え、何人の人間が会いにきてくれるのか不安に思って心臓が締まる思いを毎年しなければならないというのは、間違いなく相手を傷つけてまで自分のやりたい事を選んだ私にかかった呪いだ。

自分に掛かった呪いが自分の力で叶えて掛けた魔法だと思えるようになるまで、健全に自己を愛し他人を幸せにすることができるようひたむきに頑張り続けようと思う。

きっとどちらもいつか私の元から消えていくものであり、私はそれを美しい魔法だったと思いたいから。