禁厳有共

晒さないでください

母親になる!

当然、妊娠の報告ではない。

旧友からしたら私は容姿コンプレックスを拗らせた哀れな反出生主義者でしかないと思うし、自分でも自分をそういう人間だと思っていた。

今でこそ多少容姿を肯定できるようになったものの、可能な範囲の整形は全てしたいし、それにお金をかけることをモチベーションに働いている。

容姿を肯定できるようになるまでに幾度となく訪れた鏡の前で泣いた夜を忘れることは決してないし、私のDNAを受け継ぐということは同じ思いをする人間を自分の意思によって生み出すということだ。
そんな残酷なことができるわけがない。
私という人間は自他共に認めるワガママ女だが、もしかすると思いやりのある優しい人間なのかもしれない。

しかし、最近子供に対して可愛いなと思うようになった。

私なんかにも母性というものが備わっているのか?
人間に対して母性を感じたことはないので、合っているかはわからない。

結婚したら、ネコを飼いたい。
子供はいらない。
子供は成長してしまうから。
イヌやネコは私がいないとご飯を食べることもできなければ、トイレを片付けることもできなければ、外に出ることもできないから好き。

私が帰ってきた時、喜ぶ姿が踊っているようで愛おしい。
私の腕の中で、足の中で寝る姿が愛おしい。

人間はいつか成長して私のことを必要としなくなるのでイヤだ、健常者が生まれてくるというその自信はどこから湧いてくるのかと聞かれてしまえばそれまでだが、では重度障害児を産んでしまったと仮定したって、成長しないのも成長するのもイヤだ。

それに、私は自分の子供として生まれてきた人間に対して出来る限りの全てを尽くしたいと考えている。

善し悪しは置いておいて、私立に通わせたいし、インターナショナルスクールに通わせたいし(私は通学路にあるインターナショナルスクールを見ては毎朝嫉妬している)、私の子供だったら矯正も必要だろうし、整形したいと言われたら出来る限り協力したいし、バレエやフィギュアスケートなどお金のかかる習い事をしたいと言われたら渋る事なく習わせてあげたいし、沢山旅行にも連れて行きたい…。

これらはインターナショナルスクールと整形以外全て私の両親が私にさせてくれた事であり、私はそれを親として自分の子供に返せる自信がない。

セカンドキャリアの事は正直殆ど考えていないが、いつか就くであろう私が望んだ仕事は多分沢山稼げたり上流階級になれるようなものではない気がする。

そんな事を考えていると、私のような人間にやっと登場した母性のようなものが即座にへし折られ、考えに至るまでの過程が少し変わっただけで幼い私と変わらないままだと感じる。

しかしながら、最近の気づきとしてはメンヘラ女とはどうも愛を欲しているというより何かを愛したいのでは?と考えるようになった。

他人によって自己を肯定されたり、沢山の愛を頂いている瞬間(面白いのでわざとK-POPアイドルのような大仰な言い方をしています)も当然言葉に表せない幸せを感じているし感謝もしているが、疲れた夜ベッドで愛犬を抱きしめたり、晴れた日に顔を見合わせながら一緒に散歩したり、大好物のりんごを嬉しそうに食べている顔を眺めている時のほうが幸せだなと感じている気がする。

だから1000字もかけて子供を産みたくない理由を連ねていてもいつか与謝野晶子のように12人も子供を産んでいるかもしれないし、セカンドキャリアとしてヨークシャーテリアのブリーダーをしているかもしれない。

どのような未来になるかは配偶者がどのような考えのどのような人になるかがわからない現在なんともいえないけれど、孤独に耐えかねて宗教に嵌ったりロボットに話しかけたりする未来でなければなんでもいいかなとも思う。

みんなの子供におもちゃを買い与える鬱陶しいおばさんをしたい。

よく早く死んでそうとか早く死ぬことに憧れてそうとか失礼なことを言われるが、私は世界中の全てのパフェを食べ尽くしたり、R指定が再開する事を夢見て細々とそれなりに生きていたいなと今は考えている。

私は2人を除き知人が亡くなったことがない。
しかしこれは歳を重ねて往生した血縁者という訳ではなく後輩や友人だったりしたので、私は自分の友人が死ぬという事は耐えられないなと想像するだけで苦しくなる。

みんなを見送るという事はやっぱりできないのでおまえらよりは先に死ぬが、一緒に真っ当に生きて真っ当に歳を重ねていきましょう。